気まぐれメモランダム(2004年分)

増殖する沖縄(の一面)

 職場の近くに沖縄居酒屋が開店した。ランチの営業もしていて、値段はまあ許容範囲。いくつか食べたかぎりでは味もまあまあ。これからはやるんじゃないだろうか。
 そういえばたしか一年ほど前には同じく職場の近所に沖縄ショップが開店していた。春の大型連休には某超有名商店街にもひとつ開店していたし、このあいだ行った某有名地下街にもいつのまにかひとつできていた。わしたショップは銀座のほかにも上野にもあったはずだし、えーと、新潟でもなんとかいう店を見かけたんじゃなかったっけ? 沖縄ブームいまだ衰えず、といったところか。
 たぶんそれは悪いことではないのだろう。かつて日本とは異なる国だった南の島々に注目が集まるのは。ポジティブでハレのイメージばかりが広まっているだけだとしても。悲惨だった沖縄戦の実態や集中する米軍基地の現実や男性自殺率や離婚率の高さや全国平均の倍近くの失業率などは一切かえりみられないとしても。
 昼食にタコライスを食べられるようにもなったしね。(20004-12-18)

モノとの出会いも一期一会

 万年筆が折れた。
 キャップを取ろうとしたら軸が泣き別れてしまった。見てみると首軸と胴軸をつなぎとめるねじの部分がパカッと割れてしまっていた。どうやら前の日に床に落としたときにいってしまったらしい。まあ長年連れ添っていろいろなところに同行した万年筆だからそれまでの疲労の蓄積もあったのだろうけど。
 万年筆としてははっきりいって安物の部類だった(メッキ部分にはサビが浮きそうだったし)けど、モスグリーンのコンパクトなボディをとても気に入っていたのでたいへんショックだった。
 しかしどう見ても直りそうな見込みはない。しかたがないので同じものを買いに文房具屋に向かった。
 そしたら、ないんですな、これが。どこにも。
 そりゃまあパーカーとかペンテルとかいった一流ものではないけど、いちおうブランドものではあったのだ。それが、どこにもない。そもそもそのブランドのものが以前買った店で取りあつかってない。いろいろ調べてみたらブランドそのものは生き残っていることがわかったが、なんだかもうぜんぜん感じの違うものしか作ってない。
 万年筆なんてものはいつでも同じものが手に入ると漠然と思っていたのだけど、いまの世の中そういうわけにはいかないらしい。
 これもショックな出来事であった。同じものを安心して長く使いつづけるには買いだめするくらいしか手がないということになるわけだから。……やれやれ。
 まあそれも現実的な選択ではないわけで、そうするとやはりそのたびごとにモノとの出会いを楽しむことにするのが現実的な対応ということになるんでしょうね、やっぱり。

 まあいつまでもなげいてもはじまらない。で、あたらしいものを買ってきた。カートリッジを挿そうと軸を分解してねじの部分を見てみるとプラスチック製だった。ああ、これもそのうちいつか折れてしまうのか……(2004-12-05)

サイズのインフレ

 ある日、iPodのハードディスクの容量が私物のノートPCのそれよりもおおきいことにふと気がついて愕然とした――りはしなかった。
 PC業界に身を置いていると良かれ悪しかれ数字がおおきくなることに慣れっこになってしまう。ハードディスクの例で言えば、十年前はギガバイトの容量なんて個人には高嶺の花だったはずだ。CPUのクロックはようやく100MHzに達しようかというところ、RAMの搭載容量は個人用PCで16メガか32メガか。Windows95もOS/2も4メガのRAMで動作すると言い張っていた。もちろん実用には程遠かったが。
 それで別にこまっちゃいなかった、とはさすがに言えない。そのさらに十年前とくらべると圧倒的に恵まれた世界になってはいたものの、それでも業を煮やすことはたびたびあったからだ。しかしそれからさらに十年が過ぎ、いまやこまることはほとんどなくなった。個人的には仕事・私生活ともにCPUパワーもハードディスクも普段は余ってるくらいだ。
 にもかかわらず性能の向上はとどまることを知らない。
 もちろんその分できることは増えている。テレビの録画とかね、私がやらないだけで。でもそれってできるようになったから他のでまにあってたこともやれるようにしたにすぎないんじゃないかというような気がするのだ。便利にはなってるかもしれないけど、それだけの性能がないとできないという説得力に欠けるというか。
 にもかかわらず性能の向上はとどまることを知らない。
 それってつまり結局のところ要するに、おおきくなりそうなものはおおきくしないと気がすまないというだけのことなんじゃないだろうか。
 そういうのって逆の意味で貧乏性なんじゃないかと私なんぞは思うわけなんですが、どうなんでしょうね。(2004-11-03)

高橋幸宏映像作品リスト(たぶん不完全版)

 どういうわけかWebの世界には高橋幸宏さんの映像作品の網羅したリストがないようなのでわかる範囲で書きだしてみた。

 すべて未見。いや、そりゃあStay closeのビデオクリップぐらいは見たことありますが。
 ちなみに高橋幸宏 CD-V GOLDはCD-V。CD-Vなんてメディアいまどき誰が覚えてるだろう……(2004-10-17)

指定するのもほどほどに

 すこし前にシネコンに映画を見に行ったと思ってください。
 ひさしぶりに行くそこは改装されてすっかり様子が変わっていて、ついでに席も全席指定に変わってました。そんな今風の映画館に入るのははじめてだった(笑うな)私は気おくれしながらチケット売り場のおねーさんの差しだした席のブロック図の中から正面まん前を指差しました。「本来、映画とは二列目の真ん中の席で観るものだ」(東直己『消えた少年』)からです(といいつつ私は三列目か四列目にひよることも多いのですが)。
 するとおねーさんはにっこり笑ってこう言いました。
「そちらは見づらいですから中央でどうぞ」
 そっかー、見づらいのか。素直な(笑うな)私は親切なおねーさんの薦めるままに中央のブロックのチケットを買いました。
 さて、中に入ってみるとスクリーンが期待以上におおきいではないですか。しかも席はそのほぼ正面。なるほどこれは普通の人には特等席だわいと思いながら私は席につきました。
 しかしどうも様子はかんばしくありません。お客さんが少ない、というかほとんどいないのです。正面まん前のブロックもがらがらです。まあかなり早い時間に入ったからそのうち混むんだろう、そんなに人気のない映画でもないはずだし、そう思いながら私は開演を待ちました。
 しかし映画ははじまってしまいました。お客さんがほとんど入ってこないまま。
 ――しまった! 前の席に移動しておけばよかった!
 そう気づいたのは本編がはじまったあとでした。
 ……がらがらの小屋で指定もくそもないんだから好きなところに座らせてくれって。まったく。

 まああの映画なら途中で移動してもよかった気もするけど。(2004-10-10)

宣伝に偽りあり

 ちょっと前にパナソニックのポータブルオーディオ総合カタログをもらってきたら表紙に浜崎あゆみが写っていた。その口元に書かれたコピー曰く、

Ayuは、シースルーで聴く。

 そこで目を凝らしてよーく見てみた。
 ……やっぱり透けてないぞ。
(カタログの現物を見ないとわかりづらいかな?)(2004-09-19)

DVDレコーダー戦線からの避難勧告

 いまとなっては価格容量比も悪くインターフェースにも先のないMOドライブを見限ってDVD-RAMに乗り換えた。すーぱーまるちどらいぶというやつである。いや、USB2.0接続だとアクセスの速いこと速いこと。これまでの苦労はなんだったんだろう……と言うほどはMOを使い倒してはいませんでしたけどね。
 で、メディアの相場を見ようと店先をながめてたらCDジャケットサイズの小冊子を見つけた。『DVD VIDEO Book』(TDK)。まあなにかの参考になるかもしれないと思ってもらってきた。
 一読してあきれた。
 なにしろマンガじたてでまるまる宣伝のページもあるとはいえ(あたりまえだわな)30ページ以上もあるのである。しかもその半分ができないこと、してはいけないことの説明。明るい話題は後半になるまで出てこない。販促物というのはメリットを強調するためにあるものだと思ってたが、これはまるで敬遠させようとしているかのよう。いったい何考えてんだか。
 まあそれもむべなるかな。なにしろ記録系のDVDは五種類もあるのだ。しかもメーカによってあつかえる種類の組みあわせは限りがあり、すべてあつかえる機械はいまのところ存在しない。そのうえそれぞれに記録速度の違うものがあり、なんと遅いものにしか対応していない機械で速いもの用のDVDを使うと機械が壊れる(かもしれない)。さらに録画モードというのも三種類ありメーカーによってあつかえる組みあわせは限りがあり中には再生専用DVDプレーヤーでは見られないものもあり……(面倒なので以下略)。いやあ、勉強になりました――って納得できるかっ、こんなもん!
 ああ馬鹿馬鹿しい。ここには最大多数の最大幸福なんて考えは微塵もない。あるのは自社の推進する規格に消費者を取りこみたいというエゴだけ。シェアを確保できればそれでよし、確保できなければ無駄金を払わされた消費者のことなど忘れて別の機会に同じことをくりかえすのだろう。性懲りもなく、何度でも。
 もちろん競争の生じる環境は必要だろう。しかしいくらなんでもこれは度を越しているというものである。そのうえすでに片面二層やらBlue-RayやらHDやらの新規格が待機しているというのだからどうにもならない。やれやれ、いったいいつになったら安心してディスクを知りあいと貸し借りできるようになるのだろうか。それまで私はDVDレコーダーを買わずに済ませることができるだろうか。(2004-08-30)

改革と言うからには

 小泉首相には率先してスーツ着用をやめてほしいものである。日本の夏にネクタイとジャケットはあわないって……(2004-08-19)

CCCDのない生活

 CCCDなるCDもどきが出まわるようになって早数年。いまではすっかり例の赤いロゴマークが店頭で幅をきかせているが、私はいまだに一枚もCCCDなるものを買っていない。これはどういうことかというと、つまり私の好きなミュージシャンは

  1. 当人または関係者がCCCDを積極的に拒否している
  2. CCCDにしないと困るほど売れない

のどちらかだということである。で、数としては後者が圧倒的だったりするんですな、これが。昔はメジャーでCDを出していた人も最近はインディーズでだったりするし。
 けどこれは逆に言えば

  1. CCCDを買わなくても豊かな音楽生活は可能である。

ということでもある。当然のことながら売れようが売れまいがいいものはいいのだ。テレビやラジオや店先でいつも流れるものばかりが音楽じゃない。もちろんCDもどきに含むところはたくさんのだけど、それとは別に、似かよった流行り歌ばかりでなくもっといろいろな音楽に触れてみる人が増えればいいのになあ、と思ったりするわけである。
 と、まわりの人に好きなミュージシャンの話がなかなか通じないことのいいわけをしてみるのでした。しかしスケッチ・ショウのアルバムがCDもどきで出るようになったらどうしよう……(2004-08-08)

いまさらという気はすごくしますが

 Webで自分の意見を表明してみる気になった。
 たぶん歳をとって短気になって思ったことを腹におさめておくことができなくなってきたからではないかと思う。こまったものである。その上身辺雑記を書いたり好き勝手なことを書きなぐったりするのは性にあわないのだから自分でも何をしようというのかよくわからないが、ま、本やら音楽やらのレビューをやるということだけ考えておいて、あとはてきとーにやります。だいたいいつまで続くかわからないし、ということで。(2004-08-01)


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