(並び順は作者名を基準にしてます。映画だけは作品名。また敬称は略させていただいてます)
(2008年より、こちらには「気まぐれメモランダム」該当項目へのリンクのみを置くことにします)
2004年に発表された東直己の<ススキノ探偵>シリーズ第六弾。
なのだが、この作品、独立して成立していない。これより前に発表された『ススキノハーフボイルド』の前日譚みたいな位置づけになっている。なのでこちらを先に読むと『ススキノ~』のネタばれになる。かといって、ここが問題なのだが、『ススキノ~』が十全に中心となる事件を語っているわけでもない。核心の周囲をめぐるだけの話になっている。つまり両方を発表順に読んでもなんだかはっきりしない。いや、まあ説明はされているのだけどそれだけという感じでうまく物語になってない。
どうしてこういう構成にしたのか理解に苦しむ。単純に失敗しただけという気もするのだけど、本当のところはどうなんだろう。最近の作品を目にしていると東直己の作家としてのピークは過ぎてしまったのではないかという気がするのだが……
(2005-01-30)
(早川書房)
池上永一の長編第三作。
各界の絶賛に(いまさら)けちをつけるつもりはさらさらないのだけど、やはりこれは傑作になり損ねた意欲作だと思う。個人的にいちばんつらいのは作者が自分の語りに引きずられているところで、ほとばしる物語を一気に放出するような饒舌さはこの作者の長所であるわけなんだけれど、しかし自分の喚起したイメージに自分で驚かれたりするとすれた読者としては鼻白んでしまうのである。編集者の指示によって相当削ったという話だが、さらにあとすこし抑制する術を身につければ本当の意味での傑作を書けるようになるのではなかろうか。
登場人物が比喩的な意味で子供ばかりというのも読んでいてつらいところ。
まあでも楽しんで読める作品ではあります。
(2004-12-11)
(文芸春秋社)
1994年の出版だけど最終章の推奨本リストは折に触れて更新されているようで好感が持てます。でも本文は更新されてなくて、マーケットシェアをあらわしたグラフでNECがPCのシェアを50%以上持ってたりして哀れをもよおします(<-見るとこが違う?)。
内容は、学ぼうとしたので評価できませんが、あげられている例が現実を材にしつつえらく単純化して語られているのでそのまま真に受けた人間がいないかちょっと心配。
(2005-05-15)
(ちくま新書)
1996年発売のKONTAの六曲入りミニアルバム。プロデュース、アレンジ、半分の曲の作曲に角松敏生を迎え、ジャケットでは髪をおろした姿を披露し、とイメージチェンジに強い意欲を示したことがよくわかるのだが、肝心の中身はというと……えーと……珍盤、です。
当時の角松敏生の仕事そのままといえばそれまでなのだが、アレンジは打ちこみが主体になっている。で、それがあきらかに過剰で曲を阻害している。脈絡なくラップが入ったりするのは当時の流行を意識してのことだろうけど、いま(当時も?)聴くのはちょっとつらいし、音も多すぎてうるさすぎ(特にパーカッション系)。結果としてメロディが弱く聴こえるためKONTAの唯一無二の声をもってしてもらしい詞をもってしてもどうにもならなくなってしまっている。よく聴けば特にKONTAの曲はけっこういいのだけど……もったいない話である。
というわけで異色の組みあわせがただ異色で終わってしまったという悲しい話でした。
(2004-08-15)
(Victor Entertainment, VICL-23115)
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memo2008.html#memo20080409 (2008-04-09)
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memo2008.html#memo20080121 (2008-01-21)
1971年に出版されたスタージョンの生前最後の短編集。サンリオ文庫(!)で出版されていた『スタージョンは健在なり』の改題復刊。
最近日本で独自に編集された『海を失った男』『不思議のひと触れ』二冊の短編集の好評のおかげで復刊されたのはまちがいなく、そのこと自体はとても喜ばしいのだけど、読んでみたらいままで復刊されなかったのも無理ないとよくわかりました。そういえば伊藤典夫氏も「スタージョン雑感」で「とっつきの悪い、鈍重な凡作が、この作家に意外に多い
」と書いていたっけなあ。
(2005-05-15)
(Sturgeon, Thodore: "Sturgeon is alive and well..." / 創元SF文庫)
松本大洋のマンガの映画化作品。
原作に忠実な映画化でかえって評価に困る作品。レイアウトもかなり忠実に再現していたし、台詞にいたってはオリジナルはほとんどなかったのではないだろうか。そうなると逆に動かしすぎてしまったことによる嘘っぽさや声の演技の解釈のイメージとの違いが気になってしまう。シロ役の蒼井優と美術はすばらしかったけど。
原作の構成の若干の乱れもすこし手直しできたんじゃないかなあなど、出来がいいだけにいろいろ考えてしまって、ある意味もったいないと思ってしまうわけです。もっとも原作を読んだことのない人には関係のない話だし、水準以上の優れた作品であることにまちがいはないので、一見して損はありません、はい。(2007-01-08)
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memo2008.html#memo20081124 (2008-11-24)
1986年発売の難波弘之の五枚目のアルバムにして(おそらく)最高傑作(おそらく、というのは聴いてないアルバムがあるから)。
それまではやはりシンセトリオという形態ではサウンドの面で限界があったのかかなり多彩なゲストをアルバムごとに迎えていて、前作の『ブルジョワジーの密かな愉しみ』ではそれがオリジナルからバッハまでの幅広い楽曲の表現に効果をあげていたわけだが(こちらのアルバムもおすすめ)、本作は自身のリーダー・バンドであるセンス・オフ・ワンダーの当時のメンバー(小室和之と鈴木"リカ"徹)だけで録音されていて、それでいて現在でもまったく色褪せない音になっている。機材の発達の影響はもちろんあるだろうが、それを使いこなす難波のセンスがやはりおおきいに違いない。二人で入念にコンセプトを詰めたという森雪之丞の歌詞もサウンドにマッチし、またアルバム全体の統一感を高めることに成功している。統一感ということで言えば楽曲もポップでプログレという難題を軽々とクリアしていて(得意の変拍子も冴えまくってます)なおかつアルバムのはじめから終わりまで見事に構成されていてこれ以上望むところはないという感じ。たむらしげるの素敵なイラストをあしらったジャケットも秀逸で、とても完成度の高い一枚です。先入観抜きで聴きたいところ。(2004-08-01)
(BMGファンハウス, BCVK-37080)
1992年に発売された花田裕之のファーストソロアルバム『Riff Rough』発売記念ライブを収録したビデオの再発売DVD。
布袋寅泰のアップが多いぞ。
そうつい一言言いたくなるくらいこの時期布袋寅泰のアルバムプロデュース&ライブ参加は注目されていたのでした。まあボウイとルースターズじゃ人気桁違いだったからねえ。
収録曲目は『Riff Rough』全曲+オープニングのインスト。アレンジはアルバムとほぼ同じ、演奏も面子が面子(ベースが松井恒松(現:常松)、ドラムスが池畑潤二)なので安定していてそういう意味では見どころは多いというべきか少ないというべきか。ただ観客が一切映らないという不思議なカット割りをしている。なんでだろう?
あ、もしかしたら決め決めの花田と派手派手な布袋をすこしでも多く映そうとしたためかもしれない。花田なんて髪をセットしている上にフライングVまで弾いてるもんなあ。いまからでは想像できません。まあいまとなっては若かりし日の花田裕之をしのびたい人向け、かなあ。(2005-12-18)
(東芝EMI、TOBF-91090)
ブルー・トニックの1988年発売のセカンドアルバム。
マンガ『神戸在住』の登場人物の小池くんは夏といえば渡辺美里の『Ribbon』かトムキャットの『トム☆キャット』だそうだが、私にとっては高橋幸宏+東京スカパラダイスオーケストラの『Watermelon』かこのアルバム(一部面子がかぶってますがそれは関係ありません)。ウェットにならない曲調といきいきした演奏とリバーブが深めにかけられたサウンドが夏という雰囲気なんである。「真昼のビジョン」の間奏に出てくるフィードバックギターなんてまるで青空に沸きあがる入道雲みたいだし。
そういえばこのアルバムを手に入れたのは発売されて間もないというのにレンタルCDの処分品で出ていたからで、気に入って三枚目は新品で買おうと思っていたらそれから一年もたたないうちに解散してしまってとっても悲しい思いをしたのだった。そんなわけなので現在入手不可だが、最近ベスト盤が出たので興味をもたれた方はそちらをどうぞ。元リーダーの井上富雄の複雑なキモチも読めます。(2005-08-05)
(テイチクレコード、30CH-316)
ブローティガンの1964年に書かれた三作目の長編小説。
たくさんのものが西瓜糖で作られる世界の、生活と過去と現在に起きた悲劇の話。
素晴らしい。やさしくて弱くて残酷で、そしてその残酷さから目を逸らしてなくて。幻想的に語り描写をしながら、ブローティガンはまぎれもなくいまを書こうとしている。たとえそれが蜃気楼みたいに淡い理想でしかないいまだとしても。
こういう小説にぶつかることがあるから本を読むのはやめられないというかもっと早く出会っていたかったというか。(2005-08-05)
(Brautigan, Richard: "In Watermelon Sugar" / 河出文庫)
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memo2009.html#memo200705 (2009-07-05)
1989年に発売されたボ・ガンボスのファーストビデオとセカンドビデオをカップリングして再発売したDVD。
まずはDVD化されたことを素直に喜びたい。エピックはいい映像作品をたくさん持っているんだから出し惜しみせずにどんどんDVDにするよーに。
いや、しかしそれにしても『宇宙サウンド』は本当にすばらしい。上昇気流まっただなかのバンドの熱気と勢いがそのまま伝わってくる。ビデオ撮りを前提としたライブパフォーマンス作品で、そのため衣装が曲ごとに変わったり客が撮られることに意識的だったたりと演出が過剰な面もあるのだが、圧倒的な演奏はそんな些細なことは吹き飛ばす。的確だが端正なアレンジをほどこしたファーストアルバム『BO & GUMBO』よりもオーバーダビングなしのこちらの演奏のほうがどれだけ生き生きしていることか(Kyonがギター一本で弾ききる「泥んこ道を二人」と「目が覚めた」のすばらしいこと!)。大衆音楽好きの人ならかならず楽しめること請け合いの一作です。
『Walkin' to New Orleans』はニューオリンズでのアルバムレコーディング風景と現地の屋外ステージでの演奏風景を取り混ぜたもの。ドキュメント風の作りで、ファン以外が特に見るべきところはない。あ、ボ・ディドリーとのレコーディング風景はなかなかおもしろいので、ボ・ディドリーのジャージ姿が見たい人向け。(2005-02-27)
(Epic Records, ESBL 2221)
いちいち社会学社会学ってうるさいよ。
つまりこのときの宮台は社会学を武器に世の中の真実を暴く戦士としてたちあらわれていたということなのだろう、たぶん。議論の荒っぽさも真実追究のためには必要な戦術また戦略だったのだろう。
やれやれ。
トリックスター的な立ち位置に本人は充分自覚的だったろうが、何度もくりかえされる「こっちが正しい、あっちはまちがい」的な物言いで何かをなしえたのだろうか。結局はあまり耳目に触れない若者風俗を取りあげてもっともらしく解釈してみせるという昔からよくあるパターンをはまってしまっただけではないのか。興味深い論点がいくつも提出されいるだけに実にもったいない。
と、いまになって読んでみるとそんなことを思わせる本。(2007-02-10)
(朝日文庫)
横浜トリエンナーレ2001で名実ともに最大の目玉作品だった「インセクト・ワールド / 飛蝗」。その作家コンビのひとり室井尚がまとめた、はじまりから後日談までの一部始終。
本そのもののできは決してほめられたものではない。説明が不足していたり前後していたりする部分がかなりあるし、なにしろ当事者の言うことだからいくらか割り引いたほうがよさそうな表現も散見される。
しかしそれらの欠点を補って余りあるおもしろさがこの本にはある。
ヨコハマインターグランドコンチネンタルホテルに巨大昆虫をくっつけるという発想の意外な源。できそうもないことが実現していってしまうその過程。思いがけないさまざまなトラブル。終了間際に起きた最大のアクシデントに終了後の後始末……。現出した非日常的な景色の背後で生じていたあれこれは展示そのものよりもおもしろいと思わせかねないほどだ。筆者が発したという「アートというのはプロセスなんです」という言葉そのままに。
一点特に残念なのはこのプロセスを観客が共にするのにこの本の刊行を待たなければならなかったことだ。あのバッタを目にした多くの人はこの本の存在を知らないのではないかと思う(某美術館のミュージアムショップで偶然見かけなければ私も知ることはなかった)。この内容が同時進行ドキュメントとしてバッタと共にたくさんの目に触れるようになっていたら、筆者の言う「プロセス」が作り手だけでなく観客ともより広く共有されるものになっていたら、作品そのものの位置づけもおおきく異なっていたのではないだろうか。もっともそれどころではなかったらしいということもこの本でよくわかるのだけど。
まあいまさら高望みは言うまい。その点は抜きにしてもかかわった人々の悪戦苦闘や人間模様は興味深いしあまり目にすることのない展覧会の成立事情にも触れることができる。関心を持たれた方、一読して損はありません。(2006-07-04)
(アートン)
森博嗣のデビュー長編。
天才がちまちまUNIXの改良なんかやってちゃあいけません。画期的な新OSを開発してくれないとね。
タイトルも'F'じゃなくて'1'じゃなくちゃあ。(2005-03-16)
(講談社文庫)
三砂ちづるの二冊目(たぶん)の単著。
つまりなんですな、幸せなお姫さまがその秘訣を長屋の娘さんたちに打ち明けました、ってそういう本ですな、これは。じゃあなんでお姫さまが幸せかというと、もちろん真理に触れているからですよ、真理に。そういう人のお話に論理的整合性がどうとか歴史的事実がこうとかってツッコミを入れるのは、そりゃあ野暮ってもんでしょう。真理が共有できるなら心酔すればいいし、そうじゃなければ使えそうなところだけつまみ食いして他はうっちゃっておけばいいのではないでしょうか。
ただ、それにしても産みたくても産めない女性に対する鈍感さは救いがたいですなあ。(2006-01-24)
(光文社新書)
ハマの伝説の娼婦、メリーさんの喪失と不在を追ったドキュメンタリー映画。
そう、この映画の主役はメリーさんではない。メリーさんの存在したかつてのヨコハマである。だから作品は必然的に回顧の色調を帯びる(しかもいまとなっては作中の現在自体が過去となっている)し、驚くような事実が明かされたりもしない。それが目的ではないから。
それを象徴するように、クライマックスで登場人物の一人は言う――
「もういいでしょう?」
カメラはその先を追いかけない。
意見の分かれるところであるとは思う。しかし私は、歳若き監督のその選択に敬意を表したい。監督には監督なりの考えがあってそうしたのだろうから。そうすることで彼は自身のヨコハマを描きだしたのだ――彼の記憶にある、かつてメリーさんが存在したヨコハマを。
いまはもう存在しないヨコハマを。
横浜に、より限定的に言えば伊勢崎町や馬車道を中心にしたあたりに縁のあったすべての人におすすめの映画。(2007-03-02)
(2006年作品)
バービーボーイズのリーダー、いまみちともたかがバービー解散後結成したユニット"Love Dynamites"の1993年発売のファーストアルバム。といってもベーシストのクレジットはないしボーカルは自分がとってるし後にメンバーは変わるし、で実質的にはいまみちのソロアルバムと言っていいと思う。
当時バービーボーイズのファンだと言うだけでこのアルバムを買ったよい子のみなさんはさぞ面食らったのではなかろうか。なにしろ四曲目までは歌なしのギター弾きまくり、二曲目と三曲目なんかはギターだけ、全体で見ても歌があるのは全十二曲中五曲に過ぎないのだから。歌詞も状況を具体的に描写することが多かったバービーと違って状況やフレーズをボーカルと同じようにぶっきらぼうに投げだす感じで共感する余地はほとんどない。大成功をおさめたバンドのリーダーが解散後に放つ第一弾としてこれくらい見事に期待を裏切っているものはないだろう。
しかしそういった諸条件を忘れて聞くなら、このアルバム、すごくかっこいいギターアルバムなのである。歌よりもやっぱギターだよねという感じでメロディにリフにカッティングにソロにと弾きまくるギターは単純に聴いてて気持ちいい。やっぱり男女かけあいボーカルがメインというコンセプチュアルなバービーから解放された反動が出たのだろう。
こう書くとヴォーカルは期待できないようだが、なんのなんの、時に叫ぶような歌いかたがサウンドにマッチしていて違和感がない。アレンジもサウンドプロダクションも完成度が高く、元バービーという状況がなければもっと評価されたのではないだろうか。まあそれでも日本でヒットするタイプの音楽ではありませんけどね、残念ながら。
ちなみに『Stereo Solid Sonic』にはVol.2もあってそっちは聴いたことがありません。オークションにはぼちぼち出るみたいだから、そのうち狙ってみるかな。(2004-08-01)
(Kitty Enterprises, KTCR-1248)
RIKKIの通算五枚目のアルバム。
ジャケットが最低です。はじめて見たときはどこのスナックのチーママかと思いましたよ。絶対三十過ぎてるに違いないとにらんだのですが……。いくらインディーズだからといっても、もうすこしがんばってもらわないとねえ。
それ以外は非の打ちどころがありません。奄美島唄からイムジン河(!)までという幅広い選曲もギターやアコーディオンをベースにしたアクースティックなアレンジも。そしてもちろん曲と詞に寄り添うRIKKIの歌も!
多くの人の耳に届く価値のある傑作です。興味を持たれた方はぜひ一聴を。(2006-02-12)
(Rice Record, ORR-701)
1991年発売のYMOのベストアルバム。
いつだったかYMOのベストが聴きたくなって買いに行ったらこれしかなかった、なんとアメリカRestress Records発売のもの。そのせいで選曲がすごくかたよってて楽しい。全十曲(+リミックス一曲)のうち『Service』からの曲がないのはいいとして、なんと坂本龍一の単独作がひとつも入ってない。どうした?世界のサカモト!
じゃあ誰の曲が多いのかというと、これが意表をついて高橋幸宏(単独作2、細野晴臣との共作2、坂本との共作1)。残りは細野の単独作二曲にカバー二曲、YMO名義一曲なのだが、細野単独作はどちらも後期の日本語詞のものなので初期から中期はすべて幸宏主導の曲がピックアップされているわけである。つまりアメリカでのYMOのイメージの中心は幸宏だったのだ!……んなバカな。
ブックレットもまちがいだらけだし、『YMO Go home!』と『UC YMO』があるいまとなってはまあ存在価値はごくわずかです。コレクターの人だけ探してください。
(Restress, 7 72574-2)
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memo2008.html#memo20080322 (2008-03-22)