気まぐれメモランダム / でたらめフィードバック

タグ: 『自分の仕事をつくる』を読む

西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(6): 「1. 働き方がちがうから結果もちがう」 - 「柳宗理さんを東京・四谷に訪ねる」

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図らずもこの一連の文章は己の無知の告白にもなっているが、柳宗悦氏の息子がデザイナーであることもまた知らないことのひとつであった。おそらくいつかの作品には触れたことがあるのだろう。その経験は私の中にどのように息づいているのだろうかと思う。ものを使い、ものを介して人とかかわる以上、その経験が人に影響を与えないはずがない。生きてゆくということは、いろんな人の“仕事ぶり”に二四時間・三六五日接しつづけることだとも言える。そして、「こんなもんでいいや」という気持ちで作られたものは、「こんなもんで……」という感覚を、ジワジワと人々に伝えてしまう。(略)モノが沢山あるにもかかわらず、豊かさの実感が希薄な理由の一つはここにあると思う。(p.56)
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西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(5)付記

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先の回でひとつ引用し忘れたところがあった。大事なのはコンセプトの精緻化より、むしろスタッフ間のコンテクスト(共有知)を育むことにある。いい仕事の現場には、その育て方が上手い人がいる。(p.53)多くの仕事は共同作業によって成りたっているのだが、そのことを意識している人はあんがい少ない。コンピュータのソフトウェア開発なんて孤独な仕事の最たるものと思われているかもしれないが、あにはからんや、ソフトウェア開発の過程で生み出されるものはすべてコミュニケーションのメディアであるといっても過言ではないくらいだ。残念ながらそうしたメタレベルの知識が教育される機会は少ない。結果共同作業という意識もつちかいにくい。そのためコンテクストの共有が大事になる、という点についてはあまり他の仕事と変わらない。…
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西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(5): 「1. 働き方がちがうから結果もちがう」 - 「象設計集団を北海道・帯広に訪ねる」

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建築の世界にあまり明るくない私も象設計集団の名前は耳にしたことがあった――沖縄県名護市庁舎の設計者として。しかしそれもずいぶん前のこと、もう活動していないだろうと漠然と思っていたので、この本でその名を目にしたときには失礼ながら意外な気がした。しかも事務所は北海道の帯広。廃校になった小学校を驚くほど安く借りうけているという。町山一郎氏は言う――「『そんなにお金がなくても大丈夫』」となれば、やっぱり気楽に生きていける」(p.41)。この言葉は時間にかかわる。続く西村氏の文章を引いてみよう。手間暇を惜しまない仕事。こうした働き方が可能なのは、彼らが「時間」という資源を多く持っているからだ。そしてその「時間」は、仕事場の立地を選択することで、意識的につくり出されたのである。(p.47)
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西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(4): 「1. 働き方がちがうから結果もちがう」 - 「深澤直人さんに聞いた働き方の話」

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あいだに挟まれたコラムのひとつで西村氏は深澤直人氏の語った次の言葉を記している。やはりモノをつくり出していく過程で体験できるいろんな物事を、もっと大切にした方がいい。それは宝のようなものだと、僕らは思うんです。(p.37)これは立ちどまって考える価値のある言葉だと思う。はたして私たちはいろいろな物事を体験できるようなものづくりの過程を経ることができているだろうか、と言い換えてもいい。気づいてみれば消費のサイクルは早まるばかりで最新型の商品はいくらもしないうちに新製品によって時代遅れにされ世の中から消えていってしまう。PCや携帯電話に至ってはもはや季節商品だ――春モデルに夏モデルに冬モデル。季節と機能が連動しているわけでもないのに、なんでそんなサイクルに乗っからなければならないのか? ロングセラーはなぜ生まれ得ないのか? 新製品の最大の価値はもはやあたらしいというそのものにしかないのか?…
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西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(3): 「1. 働き方がちがうから結果もちがう」 - 「八木保さんをサンフランシスコに訪ねる」

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『自分の仕事をつくる』はインタビューに基づいて成りたっているが、インタビューを目的にしてはいない。そのためインタビューの分量よりもそれを元に著者の西村氏が検討したり考えたりした文章のほうが多い。故に引用もインタビューイのそれからよりも西村氏の文章からのものが多くなる。と、読んでいない人向けの断りを入れた上で、「1. 働き方がちがうから結果もちがう」の冒頭、「八木保さんをサンフランシスコに訪ねる」から文章を拾いあげよう。使い易いということは、何かを捨てているわけだが、はじめて使うデザインの道具がコンピュータという世代の彼らにとって、省略されたインターフェイスは、モノづくりをめぐる前提条件として学習・認識されてしまう。
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西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(2): 「まえがき」

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まずは「まえがき」から文章を拾いあげてみよう。教育機関卒業後の私たちは、生きている時間の大半をなんらかの形で仕事に費やし、その累積が社会を形成している。私たちは、数え切れない他人の「仕事」に囲まれて日々生きているわけだが、ではそれらの仕事は私たちになにを与え、伝えているのだろう。(p.5)様々な仕事が「こんなもんでいいでしょ」という、人を軽くあつかったメッセージを体現している。(p.6)「こんなものでいい」と思いながらつくられたものは、それを手にする人の存在を否定する。(略)人々が自分の仕事をとおして、自分たち自身を傷つけ、目に見えないボディーブローを効かせ合うような悪循環が、長く重ねられているような気がしてならない。(p.6-7)
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西村佳哲『自分の仕事をつくる』を読む(1): はじめるにあたって

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働きはじめてからずっと、と言ってしまってはあきらかに言いすぎだが、それでもことあるごとに、働くことについて考えてきた気がする。少なくない人がそうであろうと想像するが、私もまた、できれば働かずに生きていきたい怠け者である。しかしいまの世の中よほどの好条件に恵まれないとそんな生きかたは無理だろう。当然のことながら私にもそのような条件はそろっておらず、口に糊するためには稼がなければならない。稼がなければ生きていけない世の中に対していささか含むところがないわけではないが、とりあえずその点については措いておこう。稼がなければならないという事実自体は、まあ認めるにはやぶさかではない。やぶさかではないが、できれば働きたくない――このふたつの事実だけを考慮するのであれば、労働と報酬が見あっていれば、つまりバランスが取れていれば問題はない、はずだ。言いかたを変えれば、割りきって働けるはずだ。…
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