ジェネラティブ・アートをはじめるにあたってまずは読むべき本であると言えるピアソン『ジェネラティブ・アート』には多数の図版が掲載されていますが、その大半は(ある意味当然ではありますが)原著出版時の近作でアートワークのページに名前の掲載のない古い作品は数えるほどしかありません。そのうちの一つ、エルンスト・ヘッケルの作品は「Chapter 8 フラクタル」の直前に配置されています。
ヘッケルについてはフィリップ・ボール『かたち』が彼の描いた精細で魅力的なスケッチとともに紹介しています。ドイツ・ロマン主義者としての、人種主義・反ユダヤ主義と結びついたナチズムにつながる姿を。
ヘッケルのさまざまな考えは……ナチスに温かく迎えられた。[ヒトラー]がヘッケルの実際の仕事をどれほど知っていたのかは定かではないが、その哲学の影響は明らかだ。(ボール『かたち』p.76、サイモン・コンウェイ・モリスの言葉)
ヘッケルの思索の軌跡は生成やその結果に秩序を見いだそうとする行為の危険性を教えてくれます。グラフィカルなフォルムはニュートラルである、と無邪気に言い切るわけにはいきません。それらになんらかを見いだそうとする意志そのものが、意識的か無意識的にかにかかわらず、そして時に強力に、政治性を帯びるからです。
もしかしたらジェネラティブ・アートはそうした危険性に無防備かもしれません――形態を生成するそのプロセスに政治性の介在する余地を想像しづらいという点において。『ジェネラティブ・アート』のヘッケルの図版の掲載はもしかしたらその一例かもしれません。
であれば、作品を見る / 読む視線そのものを振りかえる態度は忘れず大事にしたいものです。先人の犯した過ちを繰りかえさないために。
(文中敬称略)