TR-808に、またローランドにかぎらない話も出てくるということなので、今月のはじめに出版された田中雄二『TR-808<ヤオヤ>を作った神々』を入手、興味深く拝読しました。音源の技術の話から特許ビジネスまで幅広いトピックをあつかう良書です。
一方「えーっ!?」と思うようなミスも散見され、自分と縁遠いトピックについても鵜呑みにはできないと思わされる本でもありました。正誤表を用意していただきたいところですが、そもそも原因の一端が著者の誤認にあったとすれば私の引っかかった点が訂正されるとはかぎりません。そこでわかる範囲での注釈をひとまずあげておきたいと思います。
日本は関西がヨーロッパ方式の50Hz、関東がアメリカ方式の60Hzと家庭用電源の交流周波数が違っており(p.30)
周波数が逆です(関西と関東がどちらも誤植になっているのでしょう)。
「TK-80(「PC-6000シリーズ」の前身となる、NECの最初のパソコン)」(p.41)
TK-80をパソコンとするかは立場によるかと思いますが、直接の後継PC-8001を飛ばして「「PC-6000シリーズ」の前身」とするのはいただけません。
YMOはモーグ、E-muなど舶来製楽器ばかり使っていたバンド(p.79)
初期から中期にかけて多用されたコルグPS-3100、また後のほうで触れられるボコーダーVP-330のことを考えるといささか適切でない表現のように思います。
(略)後続する松下電器のパナキット「KX-22」(77年)やシャープ「MZ-40K」(78年)には、簡易スピーカーが搭載された。その時代に使われていたのは、「MC-8」のように電圧をテン・キーで打ち込んでいくのではなく、MML(Music Macro Language)という呼ばれる文字列の入力。(p.200-201)
16進数を7セグメントLEDで入力するMZ-40Kでの演奏情報入力をMMLとするのはさすがに無理があります。ベーシックマスターやMZ-80Kならともかく……。なおKX-22はWebを検索しても存在を確認できませんでした。KX-33の誤りかもしれません。
トレーニングキットだった「PC-6000シリーズ」(p.201)
これは何を出典としているのでしょうか。学習用として販売された組み立てが必要なTK-80をトレーニングキットとする資料はよく見かけますが、完成品のPC-6001他をキットとする資料は目にした覚えがありません
ウィンドウズ(3.0は93年)(p.207)
Windows 3.0は1991年販売開始です。3.1が1993年販売開始なので、そちらとの混同でしょうか。
「PC-8000シリーズ」とMS-DOSが普及し始めると(p.208)
この二つが併置される理由がよくわかりません。MS-DOSは16bit CPU(8086)のPC-9800シリーズ用で8bit CPU(Z80)のPC-8000シリーズでもPC-8800シリーズでも動きませんし……MSX-DOSのことを言いたいわけでもないと思いますし……
後期は「PC-9000シリーズ」(p.208)
PC-9001というNEC製のパーソナルコンピューターは存在しないので、普通は「PC-9800シリーズ」と言うと思います
音楽専用パソコンとして、85年に「Atari ST」シリーズを販売開始(p.216)
MIDI端子が標準装備で音楽用に使いやすかったということはありますが、音楽専用ではありませんでした。
88年頃、NECが出資する大手パソコン通信サービス「Niftyサーブ」p.230、
ニフティサーブに出資していたのは富士通(と日商岩井)ですね。NECはPC-VAN。
もともとアメリカで軍事通信、教育機関の通信網として誕生したインターネットが、1995年より一般人でも利用できるように商用化。(p.237)
この「1995年」「一般人」という表現はどこから出てきたのでしょうか。JPNICによれば郵政省がインターネットの商用利用を許可したのは1993年(https://www.nic.ad.jp/timeline/ )。村井純氏は1992年のIIJ登場を商用化としています(https://www.nippon.com/ja/features/c01905/ )。1995年まで「一般人」がインターネットを利用できなかったわけではありません。Wikipedia「インターネットの歴史」に「インターネットの商業化が完了」とあるので、そちらのことを示しているのでしょうか……
(注釈もちょっとずさんで、「アメリカ軍の通信用に開発」というのは前身のARPANETについてでさえ議論がありますし、短い字数とはいえWWWにしか触れないのもいかがかと思います)
「TwinVQ」という黎明期の音声配信サービス(p.242)
TwinVQは一般には音声の非可逆圧縮(符号化)方式として知られますが、音声配信サービスの意でも利用されたことがあるのでしょうか。
マッキントッシュが採用していたIBMの「PowerPC」はRISCコンピュータのはしりで(p.320)
「パーソナルコンピュータ」に限定すればまちがいではありませんが、「コンピュータ」であればSPARCなどのRISCベースのプロセッサはPowerPC以前から存在し、それらを採用したコンピュータもマッキントッシュより前に存在します。
ローランド「VSC-55」、ヤマハ「S-YG20」という各社初のソフトウェア・シンセサイザーが、93年に(p.321)
3ページ前でVSC-55は96年に出したとなっています……(Windows 3.0 / 3.1用にはソフトウェアシンセサイザーは作れなかったと思う)
他にも気になるところはあるのですが、解釈の違いかというものもありますので、ひとまずは以上とします。
あ、これは単独の指摘はしづらいのですが、GSフォーマットとGeneral MIDI(GM)の関係が明瞭に読めない点はもうすこしわかりやすく書いてほしかったと思います(p.224からp.228にかけて)。GMはデファクトスタンダード化したGSフォーマットをベースに策定された下位互換規格だと思いますが、GMをベースにGSフォーマットが策定されたように読めなくもないので(規格策定の内部的な動きはもしかしたらそうだったのかもしれませんが)。
あと日本がベースなのでMODの話が出てこないのも残念なところ。とはいえ完全にスコープ外であることはまちがいないので贅沢は言えません。
とまあケチをつけるようなことを書いてしまいましたが、貴重な記録であることには違いありません。電子楽器の歴史に興味のある方には一読をおすすめします。多少の注意は払いつつ。