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すぐれた物語が覆い隠すもの - "Hidden Figures"(『ドリーム』)と、『この世界の片隅に』と

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邦題が話題に、というか騒ぎになった映画『ドリーム』、幸いなことに比較的近くの劇場にかかったので鑑賞しました。原題の訳しにくさはあるとはいえ、やはり邦題は適切ではないと言わざるを得ない内容。しかしその点を置いておけば、実話ベースであることがどれだけ有効に機能したかはわからないものの、人種差別問題をうまくエンターテインメントに昇華したすぐれた作品でした。機会があれば鑑賞をおすすめします。キルスティン・ダンストはいい年の重ねかたをしているなあ。

とはいえ見終わってそんなにすっきりした気分にならなかったのも事実。エンターテインメント作品として文句を言う気はないのですが、社会問題を取りあつかった作品としてはやはり美しくまとめすぎという感はぬぐえません。
 おおきな瑕疵はふたつあって、ひとつは人種差別以外の差別がほとんど前景に出てこない点。黒人白人問わず当時の男性が作品内で描かれるように女性の行動に物分りがよかったとはちょっと思えません。白人女性の労働者も女性差別に直面していたことでしょう。このあたりはフィクションの力を借りることでもっと掘り下げられたように思います。
 もうひとつは能力主義を無前提に肯定している点。主人公たちはみな優秀でそれゆえに差別を跳ねのけられるわけですが、では能力に恵まれない被差別者には差別を撥ねのける契機は与えられないのでしょうか。能力主義はそれ自体が差別となりえますし、差別者の中にも被差別者の中にも分断を生みだします。この作品の中でそこまで視野に入れる必要があったとまでは思いませんが、観る側としては念頭に置いておかないと美しくすぐれた物語に足元をすくわれかねません。気をつけたいところです。

ここで思いだすのは『この世界の片隅に』。かの作品のさまざまな設定は物語の要請によって定まったものであり、決して当時を代表する例でも典型的な例でもないことは当時のことをすこし調べたり聞いたりした人には明白なのですが、あの表現を額面どおりに受け取って当時の生活もそれほどひどくはなかったと誤認した方は相当の数に上るようです。そう思わせるのは作品の力ではありますが、しかしフィクションはフィクションでしかありません。その限界はあんがい近くにあるのです。その限界を踏まえて楽しむのが観る側のリテラシーというものでしょう。

すぐれた物語は時にその美しい装いで現実を覆い隠します。その装いを楽しんで悪いということはありません、が、そのことによって隠された現実を忘れては元も子もありません。その点は忘れずにいたいと思います。

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