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ディレイニー「エンパイア・スター」邦訳版変遷概要

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2014年末に国書刊行会から刊行されたサミュエル・レイ・ディレイニー『ドリフトグラス』はディレイニーの中短編をほぼ網羅した(残念ながら「ベータ2のバラッド」が未収)ファン待望の一冊。長らく入手困難だった諸作が手に入るようになっただけでも喜ばしいかぎりですが、目玉はなんと言っても酒井昭伸氏の手による「エンパイア・スター」新訳版収録です。

「エンパイア・スター」の邦訳はこれで三度目。最初の邦訳は米村秀雄氏、こちらはサンリオ文庫より単独で刊行。二度目は岡部宏之氏によるもので、こちらは早川書房海外SFノヴェルズの『プリズマティカ』に含まれました。それぞれで単なる訳者の違いにとどまらない差異があるので、ここで簡単にその違いを追ってみましょう。

独自性の高い『プリズマティカ』収録版

もっともおおきく異なるのは『プリズマティカ』収録版です。まずイラストが付されています。これは原書"Distant Stars"がそもそもヴィジュアル・ノヴェルとして刊行されたため。代表訳者浅倉久志氏の解説を引用すると――

「さて、本書は、 ヴィジュアル・ノヴェルの先鞭をつけたディレイニーの七篇の作品に、それぞれ違った画家がイラストをつけたもので、『イラストレーテッド・ロジャー・ゼラズニイ』や『ドラゴンワールド』を手がけたバイロン・プライスが制作を担当、一九八一年にバンタム・ブックスから出版された。この種のものの中ではとりわけデラックスな出来栄えで、評判になった一冊である」(『プリズマティカ』解説(浅倉久志)p.380)

「エンパイア・スター」の担当はジョン・ジュード・パレンカー(John Jude Palencar)氏。他の作品のイラストは一ページ大の挿絵になっていますが、「エンパイア・スター」では四分の一の円形をベースに、異なるイラストを組みあわせて円にしたりと凝ったことをしています。印刷から判断するに元のイラストはカラーと思われますが、モノクロ印刷が邦訳版のみなのか原書もそうなのかまではわかりません。

このヴィジュアル・ノヴェルという形式は本文にも影響していて、最終章の冒頭に他の版にはない15ページに渡るイラストとテキストの組みあわせが存在します。とはいえ内容が書き足されているわけではなく、それまで語られてきた内容の簡潔なリフレインが一ページにつき人物名と四つの文章の組みあわせで重ねられたもの。お読みになった方はおわかりでしょうが、これは内容を造本に適合させるための処置であると同時に内容の補間でもあります。イラストがあってはじめて効果を発揮するため『ドリフトグラス』収録版で採用されていません。当然といえば当然ですが、少々残念でもあります。

章構成の異同

章構成については酒井氏が『ドリフトグラス』所収の「「エンパイア・スター」推測だらけの訳者補記」で触れられていますが、邦訳ではサンリオ文庫版が15章(底本は1977年刊行のグレッグ・プレス版)、『プリズマティカ』収録版と『ドリフトグラス』収録版が12章構成となっています。なおサンリオ文庫版の訳者あとがきでは9章(他の版では7章)末尾の行が欠落していたので補った旨が記されていますが、この欠落は意図的な変更であった可能性があります(邦訳の他の版にもない)。

邦訳版での追加情報

先述のとおり『ドリフトグラス』には酒井氏の「「エンパイア・スター」推測だらけの訳者補記」が、サンリオ文庫版には米村氏の訳者あとがきが収められていますが、サンリオ文庫版には他にデヴィッド・G・ハートウェル氏によるグレッグ・プレス版序文も収められています。伊藤典夫氏の『アインシュタイン交点』訳者あとがきによればハートウェル氏はディレイニーの親友とのことで、各種グレッグ・プレス版の編集も担当されているそうです。この序文は成立過程なども触れられているなかなか貴重な文章で、こちらも現在入手困難なのは少々残念。

翻訳そのもの

翻訳そのものはそれぞれ各氏がその時代の制約の中で最善を尽くしたものですから基本的には論評を控えます。比較用として最初の章の一部を並べておきましょう。

わたしは物事をさまざまな観点から眺めることのできるマルチプレックス意識を持っている。それは、内部構造の調和パターンが生み出す倍音系列の、ある機能のことだ。だから、文学界で使われる、全知の観察者としての観点から、かなり詳しくこの物語を語ってみよう。(米村訳)

わたしにはマルチプレックスな意識がある。つまり、私は物事をいろいろな観点から見る。これは私の内部構造の調和パターンのオーバートーン連鎖の一機能なのだ。だから私はこの物語の多くの部分を、文壇用語で言う全知の観察者の観点から、お話しようと思う。(岡部訳)

わたしは多観(マルチプレックス)な意識を持つ。これはつまり、さまざまな視点からものごとを見られるということである。私の内部構造における振動パターンの倍列音。それが持つ働きのひとつこそは、この多観(マルチプレックス)性にほかならない。ゆえに、これよりわたしは、文学の世界でいうところの<全知の観察者>の視点から、この物語をじっくりと語っていくことにしたい。(酒井訳)

この文章には出てきませんが、固有名詞の取りあつかいに各氏の個性が出ていて興味深いです。

一点、引喩についてだけ触れておきましょう。酒井氏は「「エンパイア・スター推測だらけの訳者補記」で本文中に埋めこんだとしていますが、米村訳では「言い回し」、岡部訳では「ほのめかし」で、そもそも引喩であることが字面だけではわかりませんでした。米村訳にはオスカー・ワイルドに関する注記が割注で入れられていますが、岡部訳にはそれもなし。その点酒井訳がいちばん親切であることはまちがいありません、が、個人的には本文埋めこみではなく割注でもよかったのではないかという気はします。

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